春が来た

最後にブログを書いてから早2ヶ月以上が過ぎていて、いつの間にか春が来ていた。

私はこの春、大学院の2年生になる。もう授業単位は昨年の内に全て取ってしまったので、あとは日々のゼミに出て修士論文を書き終えれば卒業ができる予定。

今のところ、卒業するまでの時間をまだもうちょっと延長しようかと思っているので、社会に出るまではもう少し時間がかかりそうなのだけど、順当にいけばもう学生を終えて社会人になる準備は8割方済んでいる。とかなんとか自分で言っていて、信憑性はほぼ無いに等しいですが。まじか?

 

 

 

さっき自分で春が来た、と書きましたが、春が来るってどういうことかな?って思いました。

春が来るってことは、自分の居場所は変化していないということ?自分は前進も後退もしていないから、同じ場所にいるから、毎年必ず春が自分の元に来るの?というか、そもそも自分が前進したりとか後退したりってどういうことだ?

 

 

 

 

そういえば、むかしこんなツイートをしました。

 

 

この引用によると、春が来るわけではなく、自分が春(という場所)に移動してるということなんだけど、それだって自分の力や意思で移動している訳ではなくて、地球という名の動く歩道が自分を春へ連れて行ってくれているのだと考えると、それはもう、ほぼ変化の無い自分の元へ惰性で毎年春が来てくれているのではないかと思ってしまう。

 

 

 

 

全然違う話をします。

自分が普段行動を起こすとき、その行動をしたいと思うのはどれくらい強い気持ちなのか、ということをを最近考える。

例えば、テストの前日にテスト勉強をしなきゃいけないけど眠い、みたいな時に「テスト勉強したい気持ち(そんな気持ち起こるかな、きっとこれは単位が欲しいという気持ち)」と「寝たい気持ち」が衝突すると思うんです。

その時、正常の人間は寝たい気持ちも抱きつつ、単位が取れなかった時の場合をちゃんと想定して(再履修する手間とか、卒業が危ぶまれる状況に陥ることへの危惧とか)ちゃんとテスト勉強をすると思います。まあそれで実際に単位が取れるかどうかは置いておいて。

つまりこれは「寝たい気持ち」よりも「勉強したい気持ち(単位が欲しい気持ち)」が上回った結果だと思う。

 

一方で、別にテスト勉強をせずに寝てしまう人だっていると思う。それは別に悪いことではないと思います、個人的には。全然悪いことじゃない、いや、悪いことなんだろうけど、気持ちはわかるので。

ただそのとき、テスト勉強をせずに寝るという行為が、ものすごく強い「寝たい気持ち」が「勉強したい(単位がほしい)気持ち」をどうしようもなく上回ってしまったことによって引き起こされたのか、「勉強しなきゃいけないけどめんどくさいな~寝ちゃおうかな~」てな感じで、ただ楽な方に流されてしまった結果なのかでは、まったく全然大きく違うと思う。

どのみち結果は「勉強せずに寝る」なので、怠惰な自分を棚に上げて何を言ってんだって感じですが、これって本当に自分の精神衛生上、全然違う選択なんじゃないかなと思うわけです。

 

 

一見ネガティブな行為だって、そのときに本気でしたい!と思ったことなら、やっちゃえばいいんじゃないかな~って最近思う。というよりも、自分の場合、そうじゃないならやらない方が良いです、あとで絶対に自己嫌悪に陥るので。

もちろんその時衝動的にしたい!と思ったことを、あとから後悔することだってあると思うんだけど、これは反省できることというか、まだ改善の余地があると思うんだけど、楽な方に流されるのって、あとから後悔しても改善策は「楽な方に流されない」ってことしかないと思うし、これって結局改善策なしってことだと思います。頭ではわかっててもできない人間が楽な方に流されんだよね。

 

 

だから、そもそもそういう癖をつけないのが本当に大事だなって、癖になっちゃってる人間が最近めちゃめちゃ強く思います。

楽な方に流されるってなんだか受け身な言い回しだけど、結局春と一緒で、本質的には自分が楽な方にアクションしてるだけだから、動く元気があるならせめてどう動くかは「楽だから」じゃなくて「やりたいから」で決めたいですね、っていう話でした。

 

 

終わり