The night is young.

昨日の夜はうまく寝付けなかったので朝方までずっと起きていた。昨日の夜「は」というのは少し違っていて、寝付けないのはここ最近毎晩のことなのだけど特に何か悩みがあるわけではない(と思う)し、これは実際のところ、ただ単純に私がそうしたくてそうしているだけだ。ということは「うまく寝付けなかった」というのも表現としては正しくないかもしれない。訂正→『昨日の夜はそうしたかったので朝方までずっと起きていた。』

 

私は夜を出来るだけ長く過ごしたいと思っていて、同様に朝は出来るだけ寝ていたいと思っている。朝が嫌いというわけではないけれど、早起きして見る日の出よりも、夜の延長線に迎えるそれの方が圧倒的に好きだ。「午前中を寝て過ごすなんてもったいない」と言う人が居るなら、私は「夜を寝て過ごすなんてもったいない」と返したい。

空間デザインの分野で使われる用語に”ソシオペタル”と”ソシオフーガル”というものがある。ソシオペタルというのは、例えば会議室などのように全員が内を向くように配置された求心的な空間を指していて、ソシオフーガルは反対に、駅のベンチなどのように全員が外を向くように配置された遠心的な空間を指す言葉である。私は夜に”ソシオペタル”を、朝に”ソシオフーガル”を感じる。これはあくまで私の感覚的なものだけど、夜というのはすごく密な場所で、存在する全てのものが柔らかい粘土のようなものでキュッと包まれているような気分になる。そして周りがだんだん明るくなるにつれて自分を包んでいた柔らかな粘土がほろほろと砂のようになっていって、朝になるとそこは全てが発散する場所に変わる。夜と朝とでは、睡眠を摂る前後という違い(そして個人的にそれはあまり関係ないようにも思う)以上に、そもそもの空間的な性質が全く異なるように感じる。私は夜という密で優しい圧力を感じる場所が好きなんだと思う。一人で過ごす夜も、二人で過ごす夜も、大勢で過ごす夜も、夜はどんな夜でも全部好きだ。

 

今の自分が思う存分好きなだけ過ごすことが出来ている夜をいつしか過ごせなくなる日がやって来ると思うと、寂しいような苦しいようなそんな気持ちで胸がいっぱいになって、恐らく今日も私は眠らない夜を過ごす。