何も考えずに生きる

つい先日の話。

 

正月明けに少し体調を崩して寝込んでいた私は、気付いた時にはベッドから体が離れなくなり、起き上がって何かをしようとすると目から涙がぼろぼろと出てくる病気にかかって、一週間ほど自室に引きこもらざるを得ない状況になった。携帯の電源を切って知人からの連絡を全て断ち、本を読むでもなく、音楽を聴くでもなく、ベッドに横たわったままただひたすらにじっと天井を見つめていたあの時間は、不思議なもので普段の体感速度の数倍早い時間でさらさらと流れていた。永遠にこの時間が続けばいいと思うのに、朝が来て、太陽が昇り、程なくして西日が部屋に差し込んできたかと思うと、夜が来て、あっと言う間に朝が来る。永遠を感じる瞬間なんて、生きている内にあるんだろうか。

体はベッドに張り付いていて動かないけれど頭は動くので、しばらくするとパソコンでツイッターのタイムラインをぼんやりと眺めるようになり、それ以外の時間は天井を眺めながらいろんなことを考えた。私の部屋の天井は白い。私は何か難しいことを考える時、視界に出来るだけ情報を入れないようにする癖がある。人と少し複雑な話している時には床を見たり壁を見たり、どこかに焦点を当てないよう時には出来るだけ遠くをぼんやりと見るようにすることもある。だから、自室のベッドで情報が一切ない真っ白な天井を見ながら何かを考えるというのは、私にとっては一番良いシチュエーションで、そのせいなのか、頭が必要以上に働きすぎてどんどんと思考の沼にはまっていき、いつの間にか自分一人では抜け出せなくなってしまった。

 

生きていく上で自分が取る行動に「何故?」という疑問をぶつける。この行為について、大きく分けると、実直に行う人、あえて行わない人、そもそもそんな行為を思いつかない人がいる。私は、実直に行うべきだと強く思いつつも結局できずにいる人だ。更に言うと、できずにいることにどうしようもない焦燥と羞恥を感じる人。

私は頭のいい人が好きだ。頭がいいというのは勉強ができるということではなくて、もちろん勉強ができる人も好きだけれど、脳みそをちゃんと動かしながら生きている人がとても好き。自分が触れたことのない生きている思考(ポエティックでとても恥ずかしい表現ですが)に触れると、一気に相手のことが好きになって、もっともっとその人自身のことを知りたくなる。その人が好きなものや嫌いなもの、これまでにどんな知識に触れてきたのか、何に心を動かされて、どんなことで涙を流したのか。いろんな話を聞きたいと思うので、たくさん質問をぶつけてしまう。

ただ、ここ最近ようやく気づいたのは、私が好きだと思う「脳みそをちゃんと動かしながら生きている人」たちは、私が思っているほど「考える」という行為をしていないのではないかということだ。自分に関わる全てのことをよく考えているのだと思っていた人たちは、実際には考えるべきことと考えなくていいことを、脳みそをちゃんと動かして判別しているのではないか。文字にしてみるとなんだか当たり前のようなことにも感じるのだけど、私はこの事実に気づくのに随分と時間が経ったし、随分と長い間、不必要な思考によって自分の首を絞めていたのだと思う。全てを考える必要はない、考えなくていいこともあるし、考えないほうがいいこともある。これをすんなりとできる人のことを器用な人と呼ぶのならば、器用さは、努力で手に入れることができるのだろうか。

 

実はこのことに気づいたのは、ベッドから起き上がり携帯の電源を入れて大学へ登校し研究室の教授に音信不通になっていたことを謝罪したあとの話。じゃあなんでベッドから起き上がることができたのかというと、体を動かすことよりも、天井を見ながらあれこれ考えるのが嫌になったからだ。何も考えたくない、何も考えないためには寝るのが良いけれど、考えるというのは時に本当に厄介で、だんだんと眠気をエネルギー源として思考が脳みそを巡り始める。その結果ほとんど眠れなくなり、残す手段はひたすらに動くことしかなくなってしまった私は、考えることをやめる代わりにとにかく体を動かすことにした。

何のためかはわからないけど朝ベッドから体を起こして、シャワーを浴びて、大学に登校し、授業に出て、研究室の仕事をして、食事をして、家に帰って、顔を洗って、ベッドに横たわる。それでもやはり体を動かすというのはとても良いことで、これを一つづつこなしていると段々と気分が良くなってくる。もうこのまま何も考えずに、ただ生きていたい。

 

昨年末ぶりに大学に登校した日の夜、先輩から「タバコに付き合って、喫煙所に集合」とのLINEが届いた。この先輩は普段から仲良くしてもらっている人でこれまでもお互いにいろんなことを話していたし、私が引きこもっている最中にも連絡をくれていたので(連絡が来ていたのは大学に行く前日、携帯に電源を入れた時に気づいたのだけど)、恐らくそのことについて話を聞いてくれようとしているのだなと思い、「わかりました」とだけ返信して喫煙所に向かった。喫煙所に到着するとすでに先輩がタバコを吸って待っていて、開口一番「で、どうしたの?」と聞かれた。正直「どうしたのかなんて、こっちが聞きたいくらいです」と思ったのだけど、せっかく先輩が気にかけてくれて、加えて自分でもできるだけ早く頭の中の思考をアウトプットしなくてはいけないと感じていたので、今考えると本当に支離滅裂なことを言っていたと思うのだけど、真っ白い天井を見ながら一人で考えていたことを全部話した。話を聞き終わった後、先輩は笑いながら「それは社会人1年目の奴が考えるようなことだな~」と言った。まだ社会に出ていない先輩に言われたその言葉の意味が私はよくわからず、自分が社会人になって1年目にまた同じような状況になるのなら、もう一生社会になんて出たくないと思った。その後、先輩は他にもたくさんの言葉をかけてくれたのだけど、何を言われたのか全く覚えていない。確実に、この時は脳みそを動かして考えなくてはいけない場面だったのだけど、自分の話をしたので精一杯で、もう私の脳みそは何も考えられなかった。この件については、先輩に本当に申し訳ないことをしてしまったなと反省しています。私が器用な人間になるまでの道のりは果てしない。

らしい日記

 

2016/12/31

朝7:30、友達の家のこたつで目覚める。前日の夜は大学の人たちと一緒に忘年会をしていた。一昨年卒業した先輩が幹事をやってくれて、学部の先輩後輩、上から下まで幅広く20人ちょっと集まって飲んだのだけど、とても楽しい時間だった。ここ最近ずっと研究室の活動に従事していて、そこで私は最高学年の立場なので後輩の指導とかをしなくてはいけないのだけど、私は自分のことを人に指導ができるようなちゃんとした人間だと全く思ってないし、できることなら他人に甘えて生きていきたいと思ってしまう人間なので(そうは言っても実際はダサいプライドみたいなのが邪魔して、自立して生きていかなきゃ…!という強迫観念の下に行動してる)、そういうことを一切考えなくていい先輩との飲み会は本当に楽だしすきだなあと思う。加えて大学での私は基本的にいじられキャラというか周りに馬鹿にされる役回りで、先輩も後輩も同級生もみんながいじってくれるので、それもある意味周りに甘えていれば良い心地よさがあって、本当に楽しいなあ~~と思いながら酒をたくさん飲んだ。心底くだらない話をしながら、大人数で楽しく酒を飲むのは久しぶりだった。一昨年修士を卒業した先輩に「さとうって今3年生だっけ?あれ、2年生?え?!M1?もうそんな歳になったのか~~!はやいなあ~~!」って言われたの、なんかすごく面白かったんだけど、そんな風に言われるのが変なのと思いつつ、自分でも本当に早いなあと思った。もう大学入ってから5年経つんだよ、いくらなんでも早すぎでしょう。

楽しく酒を飲んで、2軒目にも行って、深夜2時くらいに解散した。大学付近の飲み屋街だったので、タクシーでホテルまで帰る先輩たちを見送ったあと友達の家に同級生5人で向かった。帰り道の途中、コンビニでインスタントの味噌汁を買った。友達の家についてから5人でこたつに入って味噌汁を飲みながら、くだらない話をした。全員かなり酔っていたし、内容はあまり覚えていないけど、最近彼女ができた男の子がクリスマスプレゼントに何を貰ったのかとか、自分たちが大学入ってから5年経つけど実感がなくてやばいだとか、就活はどうするんだとか、確かそんなことを話したと思う。そのままダラダラとしばらく話している内に私は気づいたら寝ていて、冒頭に戻る。

私はその時ツタヤで借りたDVDを延滞していて、その日の朝9時までに店の外にある返却ポストへ入れに行かないと延滞料金がさらに1日分追加されるという最悪な状況だったので、友達にお礼を言って一人そのまま自宅に帰った。大学から電車で1時間くらいの距離にある自宅に帰ってから、車でツタヤに行くと私と同じように開店時間前に返却ボックスにDVDやCDを入れようとする人たちが5~6人いた。その中に、ベンツでツタヤまで乗り付けて自ら車を降りてポストまで返却しに行くおじさんがいて、それがちょっと面白かった。

無事延滞したDVDを返却ボックスの中に入れて、延滞料金はいつ払いに行こうか考えながら家に帰り、シャワーを浴びたあと帰省の準備をして、荷物を抱えながら大学へ行った。パソコンを取りに行きたかったのと、やりかけの作業が少し残っていたのでそれをやってしまおうと思って行ったんだけど、大晦日なのもあって大学に学生は誰もいなくて、警備員さんが一人警備員室で椅子に座ってぼーっとしていた。大学自体は29日から完全に冬休みに入っているから学部生は建物の中に入れないけど、教員と院生は年末年始いつでも研究棟にカードキーで入れるから、警備員さんはその間ずっと大学にいないといけない。だから、多分この警備員さんはこのままここで年越しをするんだろうなと思って少し申し訳ない気持ちになる反面、警備員さんが今日も仕事をしてくれているおかげで私は今大学で作業をすることができるんだよなあと思って、本当に感謝の気持ちでいっぱいになった。ありがとう警備員さん、無事やりかけの作業が終わりました。

そのあと少し遅い昼ごはんを喫茶店に友達と食べに行って、15時くらいに近所の大型スーパーに行った。夜、友達の家でみんなで鍋をする約束をしていてその買い出しをする予定だったので、スーパーに到着すると他の友達がもう待っていた。そのまま全員でダラダラと食品売り場に行くと、大晦日なのもあって人がたくさんいた。これまで大晦日にスーパーに来たことがなかったので、大晦日にはスーパーにたくさん人がいるんだなあと思った。カニ鍋をする予定だったので、カニ鍋の材料をみんなで買った。白菜、ネギ、豆腐、油揚げ、カニ鍋用のスープと、冷凍のカニ。一人暮らしの子がカニ鍋に必要な材料をどんどんカゴに入れてくれて、私はそれを横から眺めながら、時々自分の食べたいものを好き勝手カゴに入れて購入を認めてもらったり怒られたりした(生しらすとイチゴのホールタルトはおねだりに成功したけど、フルーツサンドウィッチはこれから鍋食うんだから我慢しろと言われて購入は失敗した)。

買い物が終わったあと、友達の家に帰ってみんなで鍋の準備をした。こういうときにはいつも戦力外通告を受けるので、同じく仕事の貰えない友達と一緒にコタツでドラえもんを見ながら、たまにピーラーで大根の皮を剥いたりして、大晦日のちょっとさみしいけどみんなどことなくワクワクしているような、穏やかな空気を楽しんだ。お鍋の準備ができて、後輩や先輩たちが続々と集まってきて、紅白を見ながらお鍋を囲んで、みんなでいただきますをした。お鍋はあったかくて、お酒も美味しくて、男の子たちがくだらないこと言ってるのを隣に座ってた後輩とバカだねって言いながら笑ったりして、あ~なんか今すごく幸せだなあとしみじみ思った。お鍋食べ終わった後はみんなでスマブラをして、私はやったことがないでの見てるだけだったけど、最近こういうバカみたいにはしゃぐ機会がなかったので、見てるだけで本当に楽しかった。とにかく、友達と過ごす時間が楽しかった。

22:30くらいになって、巫女のバイトをする友達と一緒に、家を後にした。部屋を出るとき友達から「よいお年を」と言われて、その子は神社に後で来てくれると言っていたから、このあと神社で会うじゃんと返したら「次会うのはもう来年だよ」と言われて、そっか、もう次会うのは来年か、と思った。家を出るときはみんなに「よいお年を」と言った。

神社について、巫女の装束を着せてもらって、お堂の中で御神酒を注ぐ準備をした。年が明ける2分前くらいからみんながそわそわし始める。30秒前になるとみんな時計から目を離さなくなる。10秒前からカウントダウンが始まる。数字が小さくなるにつれてみんなの声が大きくなる。最後の3カウントをするときは、なぜかみんな笑っていた。2016年が終わる。

 

2017/01/01

今年の正月は本当に天気が良く暖かかったのもあって、とにかくたくさんの参拝客が来た。お参りをする人たちの列が全然途切れなくて、巫女のバイトたちは休憩も取れないままぶっ続けで御神酒を注ぎ続け、気付けば夕方になりバイトは終わった。他の子達は三が日中バイトをするようだったけど、私はその日の内に岐阜のおじいちゃん家へ行く予定だったので、今日1日のバイト代を受け取って他のバイトの子達がコタツに入って喋っているなか、一足先に境内をあとにした。境内を出たあとそのまま駅に向かって、駅前のコンビニでコーヒーを買って、コンビニの前でタバコを吸った。駅前を歩く人の数が少ない以外は、普段と何も変わらない風景だったので、今日が元旦だなんて信じられないなあと思った。

そのあと電車に乗って乗り換えの駅に向かったのだけど、おじいちゃんの家がど田舎なのと私がちゃんと電車の時間を調べていなかったせいで、次の電車は2時間後にしか来ないことが駅に到着してから判明した。仕方ないので暇をつぶすために駅前のドトールに行った。ブレンドコーヒーを頼んで喫煙室に入ると、カップルが二組と音楽を聴く男性と読書をする男性がいた。カップルはどちらも彼氏がタバコを吸うから必然的に彼女も喫煙室に滞在しているようで、自分は非喫煙者なのに恋人のために健気だなあ、いい子だなあ、と思った。席はまあまあ空いていたけど、全体のバランスと距離感を鑑みて、私は内一組のカップルの横の席に座った。そして本を読み始めたのだけど、前日ほとんど眠れなかったのとバイト中に立ちっぱなしで少し疲れていたのもあって、気づいたら本を読みながら眠ってしまっていた。はっと目が覚めたあと時計を見たら、30分ほど時間が経っていた。そして、私が眠っている間に来たのか、目の前に男性二人組が座っていた。彼らの見た目は派手で、いわゆる「チャラチャラした」タイプの人たちだったので、なんとなく居心地が悪いなあと思いながら私は再び本を読み始めた。ふと前を見たとき、二人が同じ銘柄のタバコを吸っていたので、仲良しなんだなあと思った。

電車の時間が近づいてきたので店を出ると、もう外が暗くなっていた。まだドトールで寝ることしかしてないのに2017年の初日がもう終わってしまう…と思いながら、電車の切符を買って岐阜へ向かった。2時間弱電車に揺られ、駅に着くとおじいちゃんが出迎えてくれた。おじいちゃんは最近常用の眼鏡をかけ始めたので、そのときも眼鏡をかけていたのだけど、おじいちゃんの眼鏡姿を見るとなんだか一気に年を取ってしまったような気がして、少し寂しくなる。おじいちゃんの車に乗り込んで家へ向かった。家に着くとおばあちゃんと、両親と飼い犬の華ちゃんが出迎えてくれた。ようやく少し、お正月を実感して、ほんの少し泣きそうになった。

新年明けまして

今日は2017年の1日1日。現在は岐阜にあるおじいちゃんの家へ一人電車に乗って向かっている最中。両親は一足先に大晦日の昨日、岐阜に到着していて、イギリスにいる妹は今年は帰省しないとのことで、今頃元旦の朝を友達と過ごしているのだと思う。妹がイギリスの大学に通い始めるまでは、大晦日の昼ごろ家族みんなで車に乗り込んで近所のマクドナルドでお昼ご飯を買い(最近はお父さんの意向によってモスバーガーに変更されたのだけど)、父の運転で岐阜に向かって年末年始の3日間をおじいちゃんの家で過ごすのが、私の家族の毎年のお決まりだった。

 

私は昨年から、大晦日から元旦にかけて神社で巫女のアルバイトをしている。大学の近くの小さな神社で、やることといえば巫女の格好をして参拝客に御神酒を注ぐというただそれだけなのだけど、寒空の下薄い肌着のような布を一枚羽織って(友達は装束の下にライトダウンを着込んだりしているけれど、袖口からダウンがちらりと見えた時の虚しさが、アルバイトとはいえ好ましくないと個人的には思うので、私はヒートテックを一枚だけ着てかつ袖を肘のところまでまくるようにしている、誰に頼まれたわけではないのだけど)、冷たい日本酒を手にしたたらせながら何時間も立ちっぱなしで笑顔を貼り付ける仕事は、やってみると意外と楽じゃない。そもそも始めたきっかけは去年、それまでそこで毎年巫女のアルバイトをしていた大学の先輩が、自分がもう卒業してしまうということで私と友達に代わりをやってくれないかと頼んできたからで、寒いのと眠いのと立ちっぱなしの足が痛くなること我慢さえすれば、時給も待遇も良い(相手側の、こちらがお願いしてやってもらっているというスタンスが2年目でも崩れず、とにかく待遇が素晴らしい)、願ったり叶ったりなアルバイトであるとは思うのだけど。

 

このアルバイトをしている最中ずっと不思議に思っているのが、なぜ参拝に来る人々はこんなにも神社に金を落としていくのかということだ。アルバイトの巫女である私たちが注ぐ御神酒は金箔の入った日本酒で、味も値段もなかなかのものではあるにせよ、量にすればおちょこ一杯にも満たない施しに対して、「お志」と名のついた賽銭を100円200円、多い人だとお札を渡してくる人もいる。これはどういうことなのか。日頃生活費をできるだけ抑えるべく、スーパーの特売品に目を凝らし、無駄な買い物を控え、家計の苦しさに嘆くお母さんたちが、御神酒の飲めない子供がもらう一欠片のあたりめに対して200円も払うというのは一体、どういうことなんだよ。みんな正月のめでたさで頭がおかしくなっているんだと言われれば納得したくなる反面、私は日本人の宗教観というものの不可解さに自分の思考が飲み込まれるような気持ちになる。

 

私の妹は現在イギリスに住んでいて、私の家族(親族)の中で唯一のクリスチャンである。高校生の時に普通科ではなく英語科に進学したのもあって、もともと自分(日本)と異なる文化に興味があったのだと思うのだけど、私が大学1年生で彼女が高校2年生の冬、突然妹がキリスト教の洗礼を受けたいと言い始めた。妹は本当に私と性格が真逆で、普段から突飛なことを言って父が雷を落とし、母が二人の様子を見ながら辟易とする(私はそこに一切関与したくないので存在を無にする)のが家族内のデフォルトであったのだけど、その妹の発言を聞いて真っ先に激怒したのは母だった。私は母のその反応に少し驚き、少し残念な気持ちになった。このご時世、世間では散々文化や価値観の多様化が謳われている最中、全世界で一番信者の多いキリスト教を真っ向から否定するなんて、母はこの瞬間何人の敵を作ったんだと思ったからだった。ただ話を聞いているとどうもキリスト教を否定しているわけではなくて、妹がクリスチャンになること、より正確にいうと、母の娘の内一人がクリスチャンになることを、阻止しようとしていることに気づいた。母はとても心が優しく、思考は穏やかで、物腰の柔らかい素敵な女性だと私は思っているのだけど、話していると感情論で自分の意見を述べてくるので、母と議論するのが私はあまり好きではない。だからなぜ母が妹の洗礼をあれほどまでに必死になって食い止めようとしたのか、その真意は私にはよく分からないけれど、ある時私と母、二人でそのことについて話した際に母が言った「あの子は、大半の日本人は無宗教だと思っていて『それがが世界的に見れば恥ずかしいことだってみんな知らない、信じるものがないなんて何も考えないで生きていることと同じだ』って言うけれど、日本には八百万の神という考え方があるでしょう。私はその考え方が自分の中にも染みついていると思うし、多くの日本人もそうだと思う。それの何が恥ずかしいの。一つのものを信じることの方がよっぽど怖いと思わない?」という発言が、強烈に自分の中に残っている。この発言を聞いてからずっとずっと、無宗教とはなんなのか考えている。考えるのだけどよくわからない。このエピソードが強烈すぎて、というよりも、あの母からこの発言が飛び出してきたことが本当に私にとって衝撃で、どうにもここで自分の思考は止まってしまい未だに進んではくれない(というより進めたい方向がどちらなのかわからない)ので、これ以上この話について書き綴ることはできないのだけど、今私の研究室に来ている留学生とたまに宗教について話をする度に、日本人が自分で主張する「無宗教」という宗教について、自分の考え(と言えるような段階ではないけど)について議論したいと思いつつも、そのもの導入すら上手く伝えられないもどかしさを感じる。それは私の語学力の問題でもありますが。

 

ただ、母の言う「一つのものを信じることの怖さ」というのにはとても共感できるなと思った。私はお正月や祝日の時に街中に飾られる日本国旗が昔からすごく怖い。なぜかははっきり説明できないけど、きっと日本国家という一つの概念に向けられる大勢の人々のエネルギー?みたいなものが、自分にとってはなんとなく居心地が悪く、嫌だなあと思ってしまうからなのかなあと思う。これは母がキリスト教(に限らず唯一神を崇拝する宗教)に対して感じるような印象と同様なのかもしれない。

 

話は変わって、昨日の夜。参拝客がだいぶ減ったあと自分でも参拝をして御神酒を注いでもらったのだけど、そういえば、その時私は何の疑問も抱かずに志を100円払った。おちょこ一杯にも満たないあの御神酒には、それくらいの価値があると思ったから。

電車がおじいちゃん家の最寄駅に到着したので、終わります