夏の準備

5/24

 

目覚ましで目を覚ます。ここ最近目覚ましをかけてちゃんと起きれた試しがなかったが、この日は昼に美容院の予約を入れていたので、いやいやながらもベッドから身体を起こした。前日の夜は何故だか忘れたけどお風呂に入らずに寝たため、数時間後には頭を洗われているのに…と思いながらシャワーを浴びた。いつもより気持ち少なめのアウトバストリートメントをつけて髪の毛を乾かしたあと、窓の外を見ると前日の雨が嘘のような晴天で、外の気温を想像しながら真っ白な半袖のカットソーに腕を通した。今年初めての半袖での外出。電車に乗ったあと、日焼け止めを塗るのをすっかり忘れていたことに気づく。日を浴びるとあっという間に焼けてしまう肌を気にしながらも、以前誰かに言われた「1日10分くらいは日の光を浴びないと、生きるのに必要な養分が身体の中で正常に作れないんだよ」というセリフを思い出して、今日は日光を浴びる日なんだと開き直ることにした。実際、肌で日光を浴びるのはとても気持ちが良い。それなのに心の底ではいつまでも日焼けを気にする自分のせせこましさに、悲しいような情けないような、なんとなく虚しい気持ちになった。

 

すっかり短くなった髪型で美容院を後にする。こんなに髪の毛を短くしたのは(記憶になかったが後で母に聞いたところによると)幼稚園の頃以来だ。果たしてこの髪型が私に似合っているのか、初めて見る自分の姿にまだ少し慣れていないのでよくわからないけど、頭が軽くて清々しいところはすごく気に入った。これから暑くなるにつれて面倒になるお風呂上りのドライヤーの時間が、少しでも快適になってくれれば願ったり叶ったり。髪型が変わると、身につけている洋服の印象も一気に変わる。その日は白い半袖のカットソーに黒いスカートというシンプルな服装だったけれど、髪の毛を切る前と後では雰囲気がまるで違った。ぴょんぴょんと毛先が軽く跳ねた頭を撫でながら、今年の夏はどんな格好をしようかな、そんなことを考えながら、バイト先の事務所がある駅へ地下鉄で向かった。

 

駅について、そういえば昼食をまだ取っていないことを思い出す。そんなにお腹は空いていなかったけれど、これから夜までバイトが続くことを踏まえ駅の地下にある喫茶店で軽食を食べることにした。地下道を歩いて目的の喫茶店に向かい、入り口から店内に入ろうとした時、入り口付近の席に座る一人のおばあちゃんの背中に気づく。真っ白いふわふわの髪の毛と、綺麗な色のトップスを着た丸くて小さな背中越しに、カラフルなパフェが見えた。今日は少しオシャレをして買い物をした後ここにパフェを食べに来たのかな、なんて、人の日常を勝手に美化した妄想を膨らませながら、でもそれを止められないくらい良い景色を見たなと思いながら店内に入った。

バイトの最寄り駅の地下街にはいくつか飲食店があるが、わたしはこの喫茶店が一番気に入っていた。狭い店内は細長い長方形をしていて、長辺に設えられた大きい窓からは行き交う人々の足が見える。ガラス一枚隔てたすぐ横では大勢の人がひっきりなしに往来している一方で、ガラスのこちら側ではみんな席に座ってのんびりと時間を過ごしている、私はこの対比を感じる瞬間が面白くてすごく好きだ。だから一人でこの喫茶店に来る時はいつも決まって窓際の席に座る。この日は比較的店内が空いていて、いつもに増してゆっくりとした空気が漂っていた。窓際の太い柱の横の席について注文を終えた後、タバコを吸おうと思ったら灰皿がない。隣のテーブルから拝借しようと思って見たものの、どうやらどのテーブルにも灰皿が見当たらない。そのまま目線を壁へ移すと大きく”禁煙”の文字。店内は分煙で喫煙が可能だったこの喫茶店は、いつの間にか全席禁煙に変わっていたらしい。これからこうやって喫煙できる飲食店はどんどん減っていくんだろうな、と少し悲しくなった。もちろん非喫煙者の方々からしたら、喫煙者が多くて行きたくても行けないという店が減るというのはすごく喜ばしいことだろう、と思う反面、私たち喫煙者は何も法を犯しているわけじゃないんだからそんなに悪者扱いしなくても良いじゃないと、少し拗ねたような気持ちになる。タバコに関する法律を制定するしない、なんて問題をニュース番組で見ると、喫煙者が嫌いで邪魔ならそんな回りくどいことせず、いっそタバコを法律で取り締まれば良いのにと思う。いや、それはちょっと言い過ぎか。

 

事務所でのバイトを終え終電で帰宅。この日のバイトでは図面などの製本作業をしたのだけど、それがとてもとても楽しくて、大きくなったら製本屋さんになりたいと思った。家についてから修論の作業を少し進めようかと思ったけど気が乗らず、シャワーを浴びてベッドに入った。そのままぼーっと考え事をしながら時間を過ごしていたら、あっという間に窓の外がほの明るくなっていた。最近は5時前には空が明るい。もう夏がそこまで来ている。